クリスマスを終えるまではなんとなく影を潜めているお正月準備ですが、古くは12月13日が「正月事始め」、お正月の準備を始める日でした。なぜこの日かと言えば、旧暦の12月13日は毎年「鬼宿日」と言って縁起のいい日(お釈迦さまが生まれたのも鬼宿日だったとか)に当たることからだったようです。お正月の準備は、家中の煤や汚れを掃除する「煤払い」にはじまり、門松を作るための松を取りに行く「松迎え」、お餅や薪の買い出しなど、すべてが来る年の年神さまを迎えるための神聖な儀式の一つでした。
▲楊洲周延「千代田之大奥 御煤掃」 (1895)
写真は明治時代に描かれたお江戸、大奥の煤払い。広い広い大奥、煤払いは13日に終わるように12月1日から始めていたようです。絵の中央に立つ御中臈(おちゅうろう・将軍や御台所のお世話係)は指示を出すだけのようで綺麗な打掛姿ですが、後ろで実際に煤払いをする人たちは、箒や煤竹(すすだけ)を手に、たすき掛けの姉さんかぶりで賑やかに精を出しています。
煤竹とは、煤払いのための道具で先端だけ笹を残した竹のこと(絵の左手で女性が持っています)。今と違ってロウソクや油であかりを灯し、薪を燃して火を起こしていた時代、部屋の高いところには煤が溜まったので、この煤竹で煤を払いました。
▲喜多川歌麿「武家煤払の図」(19世紀・江戸時代)
古い書物を紐解けば、貴族の間では平安時代から行われていた煤払い。庶民にまでこの風習が下ったのは江戸時代のことだそうです。絵は大店の煤払いの様子。ここでも煤竹を使って高いところの煤を払っています。絵の中央では胴上げ!上の絵でも左手では胴上げが行われていますが、煤払いの終わりには胴上げをする習慣があったようです。
それにしてもいつも江戸の人たちは楽しそう。やりたいことも、やらなきゃいけないことも、みんな遊びのようにこなせる江戸の人たちは、人生のお手本です。
今は掃除の延長として行われる年末の大掃除ですが、元は年神さまを迎えるための神事の一つ。年神さまに気持ちよく来ていただけるようにと思うと、掃除をする手もなんだか丁寧になる気がします。